ガラスの可能性

東京の大聖堂でガラスに感動!そして「ノルウェイの森」にも


こんにちは!安藤です。
先日、商品の配達のために東京に行ってきました。その帰り、東京カテドラル聖マリア大聖堂を見に行って、たまたま村上春樹さんの「ノルウェイの森」の舞台となった寮を見つけました。

どちらも美しくて興味深い建物ですし、東京という場所にも新たな魅力を発見しました。今回は、その時に感じたことや建築についてご紹介します。

東京カテドラル聖マリア大聖堂を訪ねて

今回私が訪れたのは、東京都文京区目白台にある「東京カテドラル聖マリア大聖堂」です。私は、目白台といえば田中角栄の私邸「目白御殿」しか思いつかない昭和の男ですが、今回で東京のイメージが変わりました。
目白台のある文京区はいわゆる高級住宅街。大きなお屋敷がたくさんありそうな町並みです。辺りに緑が多く、坂も多いが、静かで住みやすそうです。東京にはこんな高級住宅街が他にもゴロゴロあるんでしょうね。東京ってすごいなあ、と感心しながら街を歩きました。ただ、洗練された雰囲気が漂う中にも、昔ながらの細い路地や古い家がたくさん残されていて、人間味が感じられました。「東京にもこんなところがあるんだ」と新しい発見でした。

カテドラル聖マリア大聖堂とは

大聖堂が建てられたのは1963年(昭和38年)。建築家として名高い丹下健三さんによって設計されました。丹下健三さんは、大阪生まれの建築家。東京都庁や広島平和記念資料館などを手掛け、1970年の大阪万博では総合プロデューサーを務めたことでも知られています。

実はこの大聖堂は二代目。1899年に建てれられた聖堂が第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失し、その後ドイツのケルン教区の支援があって再建築されたものです。この時、前川國男さんと谷口吉郎さん、丹下健三さんの三者で指名コンペが行われ、採用されたのが丹下健三さんの案でした。



1899年の聖堂は木造のゴシック様式だったそうですが、新聖堂では「HPシェル構造」を用いた近代的なデザインが高く評価されたようです。「シェル構造」とは、薄い曲面を描く薄い板から作る建築手法。そのフォルムがまるで貝殻のようなので、「シェル構造」と呼ばれています。中でも「HPシェル構造は、水平に切断するとその切り口が双曲線を描くもの。流れるような曲線が非常に美しいです。

コンクリート打放しのファサードは、一見すると美術館のようですが、建物を上から見るとキリスト教の象徴である十字架の形をしています。半世紀以上前に建てられたとは思えない、現代的で美しいデザインです。

大聖堂の内部は荘厳だった

中に入ると、まず内部空間の広さに驚きます。「大聖堂」の名にふさわしい大空間。上を見上げると、十字架型のトップライトがあしらわれているのが内部からでも分かります。自然光が舞い降りて、空間に荘厳な雰囲気を醸成しています。

祭壇の背後には、高さ16メートルもの十字架が掲げられています。その背後のガラスから透ける光も非常に神秘的。信者席の上段背後には、日本最大級のパイプオルガンがそびえるように配置されています。毎週日曜日には多くのカトリック信徒が集うそうで、ミサで鳴り響く美しい音色をぜひ聴いてみたいものですね。

安藤忠雄の「光の教会」との共通点

コンクリート打放しの建物光を取り込むガラスの使い方には、安藤忠雄さんが設計した通称「光の教会」との共通点が感じられます。光の教会とは、1989年に建てられた、大阪府茨木市の「茨木春日丘教会」のこと。こちらも、コンクリートの堂内と、十字架型に切り込まれた祭壇背後の壁のガラスから光が取り込まれる、荘厳な空間です。会社と自宅のちょうど間ぐらいにあるので何度かお邪魔しています。

ともかく、東京カテドラル聖マリア大聖堂は日本近代建築の代表作と言って間違いありません。丹下健三サイコー。内部の写真撮影がNGだったことがとても残念です。

ノルウェイの森の舞台「和敬塾」に遭遇

大聖堂を見た後に辺りをフラフラ歩いていると、偶然「和敬塾」に遭遇しました。村上作品を全作読破したハルキストの私としては、願ってもない出来事。中に入れる雰囲気ではなかったので、外周を散歩して建物を目に焼き付けてきました。

「ノルウェイの森」って?



1987年に刊行された、村上春樹さんの長編小説です。学生時代に活発だった学生運動を背景に、主人公の男子大学生ワタナベの恋愛を繊細に描いた物語。そのワタナベが住む大学の寮が「和敬塾」です。ハルキストにとっては「ノルウェイの森」の聖地巡礼の地の一つですね。



寮の出身者には、国際機関の理事や一流企業の取締役会長、名門校の校長など、数々の有名人が名を連ねています。村上春樹さんもその一人。早稲田大学在学中に、西寮「428号」で学生時代を過ごしたそうです。ただ、西寮は今は新しく建て替えられてしまいました。当時の面影を残すのは唯一南寮だけです。

約50の大学の学生が集まる寮



和敬塾は、男子大学生・大学院生のための学生寮です。特定の大学の寮ではなく、首都圏約50の大学の学生が集まる珍しい学生寮です。敷地面積はなんと7,000坪。通常の学生寮とは比べ物にならないスケールですね。



和敬塾は1955年(昭和30年)に創立されました。その翌年に本館が開設されて以降、南寮、西寮、北寮、東寮が開設され、現在は約400人もの学生さんが共同生活を送っているようです。敷地内は木々が茂って緑豊か。外からでもたくさんの学生さんが暮らしている様子が伺えて、昔と変わらないんだなと驚きました。建物を見ていたら、窓の一つが開いていて学生らしい乱雑な部屋の中が見えてしまいました。ごめんね、学生さん。

ノルウェイの森の一場面に登場する「椿山荘」まで!

和敬塾の周りを歩いていると、その近くに「椿山荘」がありました。そこでまた感動してしまいました。ノルウェイの森の一場面でこのホテルのことが書かれていたからです。

蛍のシーンの舞台がそこに

ノルウェイの森の第二章と第三章は、1983年に発表された短編小説の「蛍」をベースにしています。この小説の中で、学生寮に住む主人公が同室人から瓶に入った蛍を受け取るシーンが出てきます。

ノルウェイの森でも同じように、主人公のワタナベが、突撃隊と呼ばれる同室人から「近くのホテルが客寄せに放した蛍が紛れ込んできたので捕まえた」と蛍を受け取るシーンがあります。あのシーンで言っていたホテルとは椿山荘のことだったんだ!と発見。うれしくなりました。

由緒正しい老舗ホテル「椿山荘」

椿山荘は、老舗の高級ホテル「ホテル椿山荘東京」として今も営業しています。こちらも、広大で緑豊かな庭園に抱かれる美しい建物でした。建てられたのはなんと1878年。140年も前です。伊藤博文とともに明治政府の最高指導者となった軍人・政治家の山縣有朋が私財を投じて建てたそうです。

木々が茂る森の中に池があり、現在も毎年5〜6月になると「ほたるの夕べ」というディナーイベントが開かれ、庭園に蛍を放ってお客さんを喜ばせているそうです。

最高級グレードのスイートルームはなんと1泊132万円。さすがにこれは贅沢すぎますが、いつかスタンダードルームに泊まるつもりです。

まとめ

目白台は風景が美しく、歴史を感じさせる建築物も興味深く、とても楽しいひとときを過ごすことができました。歴史がありながら、現在もなお変わらない健在ぶりを見せてくれているのがうれしかったですね。ノルウェイの森の世界にも触れて、今また小説を読み返しています。

建築好きのハルキストさんなら、死ぬまでに一度は足を運ぶ価値のある場所ですよ。もちろん、ゆったりと歴史的建築物を眺めたい方にもおすすめの場所です。興味がある方はぜひ、遊びに行ってみてくださいね。

ライター

安藤

安藤

この道30年。ガラス、鏡のことなら何でもおまかせ! 寝ても覚めても頭の中はガラスと鏡でいっぱい(笑) 正しい知識でガラスと鏡の購入をしっかりサポートします。